2007年12月11日

つもりだった歪み

ほどほどなのに、なんでそこに意味を持たないんだろう。
そのつもりが交錯するだけで、新たな生温い空気が発生する。

その部分だけを、ほんの少し墨汁で上塗りしてみたい。

切れ切れになっていく、
つもりの為に生まれた布を捨てたくなった。
歪みの証明は必要ない。

それに違いないと思うだけでいいんだ。
そこに影が映るなら、僅かだけでも気付いてみたい。
そこから湧いて出てくる優しさは、時には退屈な水分となって
浴びせられることがある。
あの場面だけを消してみたいのは、大きな歪みの温かみから
来ているよう。

今は別にその温度を計るつもりがない。
どうしても計りたいのなら、忘れることから始めてみたい。
永遠に意味のないことだけを気にしていたり、
意味があるようで全くないと気付かないものも同じなのだから・・
その歪みを拭き取る必要はない。
今でもよくわからない
中指を曲げて
何をすればいいかなんて
楽だし
ジッとしている
ぬるい空気
匂いがする
稀なことかもしれないです
傷だらけ
番付だし
だけではなく
調子が悪い
違いない水分ばかり飲もうとしても、
滴り落ちるように水滴ばかりがこぼれていってしまう。
不味いはずなのに・・・
別にそんなことどうでもよくなってしまって・・・
ああしてほしいとか
大概は使えない
違いが顕著
友は
疲れるのは当たり前のような気がする
でもいいんだ
あの叫びや意志に徹してみても、
結局は浮かれる前に、
どうもなんないことの残骸の整理に追われる。
きっと、
いつみても同じなのに、
同じじゃないものと錯覚
するだけなんだ。

何度もなぞりかけたけど、いつも同じとこで止まる。
綺麗になぞろうとしてみて、いつも同じとこで止まる。
その歪みも証明しないといけないのでしょうか。
多分無理だけど、そっとなかったことにしてもらいたい。
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posted by にっこう at 01:15| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月11日

どうでもいいときの

どうでもいいときの一枚として事業カードを携帯している。
いざというときのためというわけでもなく、
なんとなく必要なときがあるのならば利用しようという
思いからだから、これといって大きな理由でもない。
ビジネスキャッシングというわけもなく、
プライベートにも利用できるものを選んでいるのだが、
それだけ活用の幅が広がるのかもしれないという
淡い期待もあって発行をすることにしたのが発端だ。
わざとらしく利用するつもりもなければ、何か願いを
こめて持っているわけでもないが、それでも持っていて
安心感は否定しない。
提案
posted by にっこう at 09:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月12日

折に触れて

大自然の中で、今回もあったが災害など

人にとっては本当に大きな問題かもしれないが

まさに自然の脅威のように感じることがある。

美しい自然はそのままで、今はお金を払って

エコを買うことが多いがそれでももっと、

自然にとって良いことをしていかなければ

今ある美しい自然を守ることは難しいこと

なのかもしれない。

一人ひとりが自然を守るとの気持ちをもう少し

大きくもてれば、今見ている風景は何年後も

守れるように思える。人がやっていたから自分も

という感覚で簡単にゴミを置きっ放しにしたり

土地が足りないからといって山をけずるようなこと

があればそれは、守るという気持ちに反している

ように感じる。少しで良いから自然を守ろうという

気持ちを持ち続けることが自然保護に繋がるように思う。

タグ:土地 ゴミ 災害
posted by にっこう at 05:38| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

色とりどり

街にいるときは全然気付かなかったが、

色とりどりの落ち葉は1年中落ちている。

それらを踏みしめ歩いていると不思議と

土と会話しているような気持ちになる。

昨日は少し、雨が降ってぬかるんでいる

のだの、この前の台風では枝の長い木だけ

被害にあっただの声をひそめて体の神経

1本1本に集中していると聞えてくる

ようである。山頂から眺める風景は本当に

格別であるけれど、山中でふっと振り返り

見下ろす光景もまた格別だと思います。

自然が織り成す光景は、まさに絶景ですね。

posted by にっこう at 05:31| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

その出会い

その出会いがたくさんあれば本当に

心が癒されるものであると思える。

自分自身がこんなに自然に魅了されるとは

思いもしなかった。

あまり激しい山登りは好まないが、

それでも、登っている最中にたくさんの

素晴らしい自然に目が覚めるような気持ちだ。

何十年ももしかしたら100年くらい前から

あっただろう、大木が出迎えてくれた時は

声を出してしまった。

自然の流れというものがあると思うが、

それでも、その中で私は生かされていると

感じてしまうような、そんな安心した気持ちに

なってしまう。

タグ:癒し 魅了
posted by にっこう at 05:26| 大木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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